パッサージュとエッフェル塔(1/2)




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皆さんパリのパッサージュはご存知ですか?。 ガラスの屋根付き商店街だと言えば、 「なんだ、それだけか」とお思いになるかも知れません。 でも、ガラスが大量に使用可能になったばかりの19世紀始めに作られた、 当時としてはハイカラなガラスの建築だったのです。 趣向も色々あって楽しめます。


ちなみにパッサージュの始まりは、18世紀後半にパレ・ロワイヤルで 貸家と貸店舗が営まれた事だそうで、以降19世紀半ばまでに 次々と現れたそうです。しかし、ここで取り上げるガラス屋根 付き商店街としてのパッサージュ(パッサージュ・クベール)が出来たのは、 恐らくガラスの大量生産が本格化した1832年以降ではないかと推測します。


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では第二問、エッフェル塔とパッサージュを取り上げて私は一体何を言おうとしているのでしょうか? (^_^) 。 それは、両方とも当時の「建築」という概念を逸脱した建造物でありながら、 名所として市民権を獲得してしまった建物だという事です。 19世紀には、当時の建築家が「建築」だと思う 以外のものがどんどん現れて、既成事実として街を形作って行きました。 その辺の事情を見てゆきたいと思うわけです。



















まず、パッサージュの説明からいきましょう。


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パッサージュ入口



ガラス屋根の付いた商店街パッサージュは、 当時の道路事情の悪いパリ市内で、埃を気にせず明るいところで買物ができるように、 商店街の通路をガラス屋根で覆ったものでした。 雨に濡れずに買い物が出来て、それでいて外に居るかのように明るい空間が作れるガラスという素材。 パッサージュは技術の最先端でした。


パッサージュはパリっ子の評判だったようです。 場所は色々で、図書館の隣で格調高いものもありますし、かと思うと、かつての娼婦街もあったりします。 中をどう美しく見せるか、という点でパッサージュ毎に個性があって面白いです。 建物の軒を統一して美しく見せたり、床張りがきれいだったり、内装にレトロな感じが出ていたりします。


こういう商業建築は、今だったら建築の立派な一分野です。 安藤忠雄だって商業建築を幾つも手がけています。 しかしこの当時は「建築」と見なされなかったのです。 建築とは呼べない「何でもないもの」に過ぎませんでした。


当時の建築家は、お決まりのビルディングタイプ (教会、貴族の館、博物館、議事堂、学校、銀行など)を、 昔ながらの様式で飾る事にしか興味がありませんでした。 そもそもヨーロッパには、重厚な様式建築の歴史があって、何百年にも亘る建築の美学が存在してました。 美しいとされる昔からの様式で建物を飾って、初めて「建築」と呼ぶに値するものだったのです。(続く)


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パッサージュ入口



続く−−→