ギマールとアールヌーヴォー、そして・・(2/3)




ちょっとここで建築史をひも解いてみましょう。


そもそもルネサンス以降、ヨーロッパは、古代ローマを模範として建築を作ってきました。 古代ローマの模倣をする事が、すなわち建築を作ることだったのです。 しかし啓蒙思想が広まり考古学が発達するにつれて、古代へのヨーロッパ人達の思いも変化してゆきます。 古代ギリシャ建築への研究が進むにつれ、古代ギリシャも模倣の対象となりました。 啓蒙思想やデカルト主義に影響されて、建築の本質が思弁的に追及されました。 これは18世紀のことです。


古代ローマ建築と古代ギリシャ建築が別物であることがはっきりした事で、 参照先が2つになって相対化され、「古代ローマだけが唯一絶対の理想だ」とは言えなくなりました。 唯一の模倣先から、模倣先の選択の時代になったのです。 また建築の本質を追及した結果として「古代ギリシャ(ローマ)が理想だ」と言われたのですが、 この論法だと、違う建築が帰結されれば古代ギリシャ(ローマ)でなくても良い事になります。


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これらの事から想像できるように、次の時代では、参照先は古代ギリシャ(ローマ)だけでなくなり ました。ゴシック、ロマネスク、はてまたイスラムやエジプトまで参照され、 「何でもあり」になって様式が自由に使い分けられたり組み合わせられるようになりました。 これが19世紀の状況です。


何でもありですから「過去の様式以外のものを参照しても(建築意匠としても)良い」となるまであと一歩です。 更に、当時ゴシックの研究の影響から、構造と見た目の美しさの合致が建築の価値観として 重要視されたのですが(構造合理主義)、これも「合理的な価値基準に合致していれば 別に過去の様式でなくても良い」という見方にすぐ繋がります。


そこまで分かっていながら(?!)、19世紀のヨーロッパはあいも変わらず過去様式を参照し、 それを繰返してばかりいたのでした。 理念と実際の建築が分離していました。 そんな時に、建築におけるアールヌーヴォーが登場しました。 過去様式でない意匠が建築界にデビューしたのです。歴史は回転し始めました。


しかし、このとき歴史にははずみが付いていました。 もっと回転して、決定的な断絶が起こるまで一気に回りつづけたのです (注1)。 過去から断絶した新しい建築様式が、当時可能になった鉄筋コンクリート構造と共に、 各所で試みられました。 そこに先程述べた構造合理主義的な価値観があって、 建築の構造と結びついた美が追及されました。 時代は装飾を嫌うようになりました。 なぜなら装飾は建築の「構造を伴った美」ではないからです。 アールヌーヴォーは取り残されました。


注1:当時は、例えば鉄道駅のコンコースや工場など新しいタイプの建築が 沢山出てきて、建築家でない技術者が作るものも多数ありました。 自分の専門に閉じこもり、様式をいじり回すだけの建築家の立場は、 どんどん時代と矛盾したものになりつつあったのです。 また新しい鉄素材、そして当時出来立ての鉄筋コンクリートの使い方は、 それまでの様式では全く考慮されていなかったものでした。 その矛盾が世紀末から今世紀にかけて一気に爆発します。


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モンマルトル駅にて



絵画・美術の分野においても、過去との断絶が決定的になります。 20世紀初頭といえばキュビスムが有名ですが、 機械時代の幕開けに最もふさわしい芸術運動は、構成主義でした (注2)。 直線や四角など無機的な形をベースとした構成主義は、 人工のもの(機械)に取り囲まれた今世紀の生活を表現するのにぴったりだったのです。


注2: ここで述べているのは「ロシア構成主義」のことだけではありません。オランダのデ・スタイルも 構成主義ですし、バウハウスに居たモホリ・ナジの活動も国際構成主義と呼ばれます。そもそも ロシアのシュプレマティズムから始まるこの一連の大きな流れ全体を、ここでは構成主義と呼んでいます。 シュプレマティズムの中心人物であるマレーヴィチは、決して機械や合理主義を表現するつもりではなかったのですが、 モホリ・ナジになりますと、かなり意識的に機械や合理主義を表現しようとしています。


じつは建築もこの頃から、すっかり構成主義的になってしまったのでした。 ギマールの作品が主に1900-1910年代なのに対し、 1923年にできたル・コルビュジェのラ・ロッシュ邸を見て下さい(下の写真)。 これはパリの、ギマールの作品群のすぐそばに建っています。 新しい時代(機械時代)の、新しい表現を求めた結果がこれです。 コルビュジェの建築を構成主義とは直接呼びませんが、 このデザイン原理の背後にあるのは、まぎれもなく構成主義です。


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たった10年ちょっとで、建築はここまで変わったのです。 時代の歯車は一気に回って、アールヌーヴォーなんか遠く置去りにしてしまいました。


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そうやって考えてみると、建築におけるアールヌーヴォーは、コルビュジェなどに代表される モダニズムが到来する前の、一種の露払いの様な存在だったと言えます。 つまり、新しいもの(モダニズム)が到来する前に、その到来を 容易にする為に、過去の様式でなければいけないと思い込んでいた人々の心性を徹底的に叩いたのです。 そこで、建築におけるアールヌーヴォーはその使命を終えてしまいました。


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続く−−→