オペラ・ガルニエとその周辺(バロック復興)(1/2)




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オペラ・ガルニエは、ナポレオン3世の治政下、パリ大改造計画の一環として誕生します。 1858年にオペラ広場が完成し、ここから7本の道路が放射状に完成しました。 道路を囲む建物は全て景観が規制されていて、この辺り一帯はビジネスの中心地区でした。 ナポレオン3世はここに、貴族や裕福な階級の社交場としてのオペラ座を計画します。


オペラ座を巡るコンペ(公開設計競技)は、ナポレオン3世の命により公布され、 その条件として、オペラ座はバロック様式によるものと規定されました。 ナポレオン3世がバロック様式が大好きだったのは有名で、この当時皇帝の 好みにより作られたバロック式建築は「スゴンタンピール(第二帝政式)」と呼ばれます。


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オペラ座はこのスゴンタンピールの、最高の華となりました。 1861年、コンペに優勝したのは弱冠36才のシャルル・ガルニエ。 その案は、ゴシックの権威、ヴィオレ・ル・デュクの案を堂々破りました。 約170出た応募作の中でもひときわ壮麗な案だったのではないでしょうか。


ローマ的な豪放な構図によるファサード(正面)。 ワーグナーやヴェルディの巨大歌劇にも十分応えられる舞台装置群。 豪華な客席。ひし形の地形をうまく生かし、至る所を壮麗に飾ったこのオペラ座の中でも、 ひときわ目立つのが、素晴らしく豪華な主階段室(ホワイエ)です。


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オペラ・ガルニエに来た人はみんな観覧席のシャガールの天井絵を 見たがるのですが、それはミーハーです。 本当にこの建物を知りたかったら、階段室をじっくり見回しましょう。 こんな豪華な出会いの演出が他にあるでしょうか。 当時の上流階級の華々しい社交のイメージに、こんなにもふさわしい場所が他に あるでしょうか。
ではこれから階段室をご案内しましょう。



















続く−−→