ヨーロッパの村々の間を自動車で疾走するという事について
題が長くなりましたが、これはパリからおよそ150kmのロワール地方を自動車で 走った時の印象を語ろうとするものです。 (このページはオマケでして、建築史とは何の関係もありません)。
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ロワールの村々をつなぐ道路は、車も少なく道路標識も殆ど見当たりません。 ただただ畑を貫通する一本の道路があって、糸杉のような高い木の並木道が多くあります。 そこを時速100キロ以上でつっ走るのです。日本だと すぐに交差点があったり道が曲がりくねっていたりして、なかなか100キロ 出せる道はありません。しかしここヨーロッパでは、農家が点々と続く景色の中を ゆうゆうと高スピードで移動できます。しかも合法です。
目の前には葡萄畑や空いた農地、そして農家があります。 電柱もなく標識も殆どなく、本当に昔ながらの風景だけがあるのは、 日本ではまず見られない光景です(なかなか美しいです)。 その中を、我々はすごく当たり前のように高速で走っています。 そのとりあわせが何かすごく斬新な気がしてきました。 自動車のスピードは私に技術文明の粋を感じさせます。 自然を相手に何百年も続いてきた古い生活の風景と、この自動車のスピード(テクノロジー)・・。 ここではこの両者が出会っていて、しかもその出会いがすごくさりげないのです。 この出会いに、私は感動を覚えてしまいました。
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私は何に心を動かされたのでしょうか?。 まず一つには、ヨーロッパに足を踏み入れている、という実感があります。 車が疾走する農村風景には、電柱や看板のような人工的なものがなく、 整ったその風景はとてもヨーロッパ的な感じがしました。
我々が手にし得たこの技術の粋である猛スピード。「近代」の果実であるこのスピードと、 近代を生み出したこのヨーロッパに居るという実感の出会いに、 私は感銘を受けたのかもしれません。 (ま、ヨーロッパをドライブしたのが初めてだったというのが大きいんですが・・)。 理屈っぽくなってしまいましたが、心を動かされた原因を追及しようとすると、 ひとつにはそんな事が指摘できます。
しかしもう一つには、 技術文明の粋と自然とのさりげない取り合わせ、共存という事があります。 美しい田舎風景を疾走するTGVの姿にも、似たような感動を覚えます(あくまでイメージとしてですが)。 そのような風景は、子供の時から、私にとって常に黙示的でありました。 その話をしましょう。
かなり前、私の子供時代に(昭和42年ころ)、 イギリス政府が作った或る宣伝フィルムがありました。 森の木立の合間の草むらに、カムフラージュされたハリアー戦闘機があります。 どこにでもありそうな森で、そこにパイロットが一人スタスタ歩いてきます。 よいしょっと網をどかして座席に乗り込むと、 実にさりげなくハリアーをブインっと空に上げて、そのまま行ってしまいました。
ご存知のようにハリアーは垂直離着陸機です。 滑走路もコントロールタワーもなく、どこにでもありそうな草むら の中にぽつんと置かれて単独で離陸できるハリアーの姿は、当時の私にとって非常に印象的でした。 技術の粋とおい茂る森(自然)のさりげない取り合わせが、何か、 人間(の技術)と自然の新しい関係を予感させるものだったのです。 (余談ですが、ハリアーをぶん回すと言えば、映画「トゥルーライズ」でシュワちゃんが 派手にやってましたね・・。)
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その手のイメージは、その後、ハリウッドがSF映画の中で量産するようになります。 ここではそのようなSF映画の古株である「未来惑星ザルドス」をご紹介しましょう。 映画の中で、地上に住む最高階級の人間達は、中央コンピューター により支配・管理されています。しかし彼らの生活を見るとそんな事は全然感じられません。 田舎の農家風の家にいて、耕したりして生活しています。
技術が一定以上進むと人はもう一度自然に還る。 自然と共にある素朴な(そして質素な)生活の中にさりげなくスゴい技術が隠されている。 そして最高度に発達した技術は技術を何も見せる必要がない。 そういうイメージを、あの映画はうまく出していました。
ヨーロッパ農村のドライブからやけに話が広がってしまいましたが、 フランスの片田舎を疾走する車は、自然と人間(技術)の共存の、ある一つのイメージを 提出していると言えるかも知れません。 皆さんの中にもヨーロッパをドライブされた方がいると思いますが、 何をお感じになられたでしょうか。 最後になりますが、事故にだけは気をつけて下さい。
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